「出せるのに出さない」?「出そうにも出せない」?

 最近、頻りと気になっている。未だにやる気の出ないことが多い。だが、躁うつの波はかなり小さくなってきている。もしかして、自分は病気を言い訳にして怠けているだけでは無いか。本当はもう、ちゃんとやる気が出せるのに出さずにいるだけでは無いか。こんなことでは寛解しても何もできない人間になってしまうでは無いかと、非常に不安になり、焦りが募る。


 さて、先日の日曜日は、何だか気怠い気分だった。


 ブログを書いたり読んだり、facebookをうろついたり、写真や音楽のファイルを整理したり。便利そうなソフトをダウンロード・インストールしたり、使いやすくならないかと設定をいじってみたり。
 何もしていないわけじゃ無いけれど、ダラダラとパソコンの前から離れられない。起きたときには、今日はあそこを片付けよう、あそこを掃除しようと思ったはずなのに、腰が上がらない。いつの間にか、数時間が過ぎていた。


 だが、妻の「一緒に買い物に行かない?」という荷物を持たせる戦略に引っかかった。「ああ、運動不足解消をかねて、一緒に行こうか」と、すぐに腰が上がった。「あれ?必要なときには腰が上がるじゃ無いか」。


 で、何となく感じた。このときの無気力は、その気になればやる気を「出せるのに出さない」状態じゃないかと。面倒くさくてやる気が出ない。何もしなくても、誰に怒られるわけでも無いからダラダラと過ごしてしまう。「しゃんとしなさい!」「サボってないで掃除でもしなさい!」って、誰かから、いや、自分で活を入れてやれば、渋々ながらも動ける状態。やる気を出そうと思えば出せるのに、億劫だから出さない(出せない)状態。


 鬱状態でやる気が出ない時の感覚はまったく違う。「やらなくちゃ」と思っていてもやる気が出ない、腰が上がらない。外見上は、上の日曜日の状態と同じ。だが「サボってるんじゃ無い、自分!」「しゃんとせんかい、自分!」と活を入れても一向に言うことを聞かない。そのうち、活を入れる気力も出なくなってくる。


 その気になればやる気を「出せるのに出さない」状態と、いくら頑張ってみてもやる気を「出そうにも出せない」状態。何となく、その違いを実感できた。いや、わざわざ考えるまでも無く、鬱病躁うつ病鬱状態はそういうものなのだが、その違いを再認識できた。体感として。


 自分が今、やる気を「出せるのに出さない」状態なのか「出そうにも出せない」状態なのか。この違いが分からなくなっていたから、混乱して焦っていたのかもしれない。この違いを自己診断できるようになれれば、無用に焦ることも減りそうだ。適切に自分に活を入れられそうだ。


 やる気を「出せるのに出さない」自分には、思い切り活を入れてやる。
 やる気を「出そうにも出せない」自分には、活を入れてはいけない。やる気が出せるようになるまで、焦らずにつきあってやる。


 やはり何だかうまく表現できないが、「やる気が出ない」と怠けていたが故に、ちょっとした発見があった。そう考えると、この日のダラダラした生活は、それほど無駄でも無かったか。たまにはやる気を「出せるのに出さない」のも、悪いことばかりでは無いようだな。(笑)

 それにしても、冗長でまとまりの文章だなぁ、我ながら。