転んでもただは起きない−患者だからできること−

 私は躁うつ病患者だけれど、病状が悪化する前に潜り込んで、正社員としてのうのうとしています…。申し訳ない(?)ことだけど…
 
 病気って本当に嫌なことばかり、苦しいし、損ばかりしている。特に、精神疾患の場合は周囲の理解をえるのが難しいため、本当に辛い。

 私の場合、今では多くのうつ病患者さんたちに対しては申し訳ないぐらい、身近によき理解者がいてくれます。そういう方々はとっても大きな宝物です。陳腐なフレーズだけれども。

 でも、10年位前にはかなり違う扱いを受けていました。「いつもサボってばかりいる、ほとんど何もしないで居眠りばかりしている、わがままで人の話を聴かない厄介者」として扱われていました。被害妄想がまったく無いとは言い切れませんが、そういう存在だと見なされていたのは確かだと思います。とある上司からは「お前の面倒を見る気はまったく無い」と断言されたことも。何か事情があって相談に行っても、「そういうことは認められません」「どうして平気でそんな言動をするのか、さっぱり分からない」。そんなことを、大なり小なり言われてきました。しかし、病気のことはなかなか理解してもらえず、また、説明しようとしても機能が大幅に低下した脳みそではそれも叶わない…。私の場合、躁と鬱では考えも言動も大きく変わり、ますます手に負えない。それに輪をかけて、てんかん寛解するまで自分でも不可解な言動を続けていたし。

ただ、幸い私のことを理解してくれる方がおられた。理解しようとして下さる方が。そういう方々の理解と周囲への働きかけが、私にとっての環境を変えて下さいました。

 以下、決して私の「武勇伝」を語りたいわけでは無く、病人だからこそ、できることがあるのでは無いだろうかと考え、実行できたことを紹介します。

病気のことを理解してもらえるようになってくると、時々相談を持ちかけられました。「私の知り合いに、これこれこういう人がいて、病院行きを進めてみようと思うんだけど、どう思う?」と。結局、病院に行かれたもおられたそうですが、その後、治られたと聞いてホッとしています。

周りの理解が得られるようになってくると、(私では無く、)同僚や家族、友人、知人に対する理解を広げて、深めて欲しいと強く感じるようになりました。そして、(躁状態による暴走も手伝ってでしょうが)身近な方々を通じて幹部に対して、メンヘルに関する相談窓口や対応体制の徹底、メンタルヘルスセミナーの開催などを求め、ある程度実現してきました。その後、相談窓口を利用されたかともおられるという話しも伝え聞きました。最近は支社、本社の幹部の方から、「あなたのような病気を持っている方には、どう接したらいいのか?」と尋ねられることもあります。

 病気の最中には難しいでしょうが、治癒してから、あるいは寛解してからは、患者を経験したものだからこそ、できることってあるのだと思います。

 だから、(躁)うつ病仲間の皆さん、病気で失う物はあまりに多いけれど、それに比べれば小さいかも知れないけれど、「転んでもただは起きない」つもりで治療を続けましょうよ。そうでもしなきゃ、やっていられないし。

 最後に、私の好きな言葉を。

「やり直しのきかぬ人生ではあるが、見直すことはできる」