「急がば回れ」

 英語が話せるようになりたいが、その一方で、学生時代の英語に対する苦手意識などがあって、なかなか最初の一歩が踏み出せずにいる方々。決して少なくないだろう。日本国内で暮らす限り、日常生活で英語で話す必要性もほとんど無いし。

 そんな方々の英語アレルギーを取り除いて、英語が話せるようになるための手助けをしたい。そう考えている青年が、その活動に協力してくれるボランティアを募集していた。「英会話?自分にも多少は出来るかな。ボランティア?自分でも役に立てたらいいな」と思い、すぐに連絡した。

 早速、今日、その彼と会って話しをしてきた。彼と会う前に、そして話しながら、思いがけず自分の頭の中が整理されていくのを感じた。

 私は仕事で時々、海外の方々と英語で話す機会があるが、その機会は少ない。英会話のスキルをなるべく維持したい、せめて、あまり衰えさせたくないとの思いから、少しでも英語を話す機会を作りたいと思っていた。

 また、私は英語を学び始めた時から、いつかは海外の方と英語で話せるようになって、世界を広げたいと思っていた。詳細を書き出すときりがないので省略するが、努力の甲斐あって、初めて海外の方と英語で会話が出来た時の喜びは、嬉しいを通り越して感激と言ってもいいぐらいだ。英語を話したいと思いつつ躊躇している方々にも、この喜びを感じて頂けたら、本当に嬉しい。

 それから、苦手な方々に教えると言うことは、ネイティブの人と会話したり、自分と近いレベルの方々と話すよりもずっと難しい作業になるに違いない。限られた語彙と簡単な文法で会話が出来ることを実感してもらえるための手助けと、それを積み重ねて、徐々にレベルアップしていけるような工夫が必要だ。これは、私自身にとって非常によい勉強のチャンスになると思う。

 さらに付け加えると、どういう訳か私は人にものごとを教えることが好きである。相手に分かってもらえるように工夫して説明して、「分かった!」と思ってもらえることが嬉しいからだろう。

 そして、特に今の私にとって、もしかしたら良い機会だと思った点。病気に因るところも大きいが、私はしばしば、何かと自信を失い、落ち込んでばかりいる。こんな自分でも誰かの役に立てることがあれば、それが自信につながるのではないだろうか、と。

 ボランティアとして協力したいという動機は、こういったところである。

 さて、彼と会ってお互いの考えを話し合い、程なく一緒にやっていこうということで意気投合した。

 次はレッスンの方法である。すでに彼なりに工夫しながらやっているが、色々と悩んでいるという。そこで、私の考えを話してみた。

 最初にするべきことは、英語に対する苦手意識をどう取り除くか、ということに尽きると思う。「ちゃんとした英語を話さなくては」という意識が邪魔をする。よく指摘されることではあるが、確かにこれは現実だと思う。これが、英語を話そうとする時の、高いハードルになってしまっていると考えられる。
 だから、高いハードルを下げる必要がある。まずは、簡単な文章でも通じることを実感してもらうのが良いだろう。あるいは、文章でなく、知っている単語とジェスチャーでも良い。ハードルを下げる、あるいは、とりあえずハードルを跳ぶことすらせずに、横から回り込んでハードルの向こうに行っても良いだろう。

 このことを話していて、はたと気付いた。なんだ、仕事に対して自信が持てずに、どちらに進むべきか、何をなすべきかを見失っている自分のことではないか。勝手に高いハードルを置いて、跳べない、跳べないと悩んでいる。それなら、ハードルを下げればいい。ハードルを迂回したっていい。急がば回れ、だ。

 ここまで考えて、ハッと気付いた。あれ?ごく最近、悩んでばかりいる私に、ある方が助言して下さった言葉と、そのままそっくり、同じではないか。

 そうだ、あれは、このことだったんだ!

 PCに喩えていうなら、頂いた助言というデータはメモリー上にずっと保存されていた。だが、電源を切ったら消えてしまうかも知れなかった。ところが、思わぬところできちんとHDDに書き込まれたようだ。もちろん、HDDは故障するから、ちゃんとバックアップをとって置かなくては。そして、この日記がそのバックアップの一つ。

 与えられた仕事もろくに出来ないのに、ボランティアなどしている場合か。確かに今の自分は、そんな指摘をされてもおかしくない。

 だが、思わぬところで思わぬことを学び、それが自信につながり、仕事にも活かされる。そんなことだって、あるのではなかろうか。これもまた、「急がば回れ」かもしれない。

 「我以外皆我師」という言葉もある。視野を狭めず、自分の世界を狭めずに、多くの人から多くのことを学ぶ。そして、人生の糧にしていけたら、これほど素晴らしいことはないと思う。

 さて。問題はボランティアに応募した頃、そして彼と会った今日は、やや躁状態であるということ。鬱になった時、きちんとボランティアの役目を果たせるだろうか、という不安は残る。

 しかし、最近は鬱状態でも出勤できないと言うことは無くなった。相手のある仕事、自分が欠けると誰かに迷惑がかかるような仕事は、どうにかこなせるようになっている。以前は、いくら「やらなくては」「行かなくては」と頭で思っても、体がまったくついて行けなかった。その心配は、どうやら無くなったと思って良さそうだ。私を待っている方々がいると思えば、きっと体もついてくる。

 さらに朗報があった。その彼は、精神障害者の方々のための福祉施設で働いているという。私の双曲性気分障害躁うつ病)のことを話しても、すんなりと理解を示してくれた。まあ、彼の仕事を聞けば、当然と言えば、当然だが。

 そんなわけで、その彼と一緒に英語を教えながら、彼から、そして英会話サークルの皆さんから学ばせて頂こうと思う。