同病、相憐れめない?

 鬱病の妻が、具合が悪くて動けずに、脇でうずくまって寝転がっている。正直言って、ウザイ。
 話しかけても、ろくに反応しない。邪魔なところに寝転がっていて、蹴飛ばしたくなる。
 何をするにも動作が鈍く、しばらく止まってボーッと宙を見つめていたりする。見ていてイライラする。

 私自身、鬱状態の時にはまったく同じ状態になり、とても辛い。その辛さを身に沁みて分かっているはずなのに、鬱状態の妻が疎ましい。なぜだろう?

 多分、無意識のうちに、妻を見てこう感じているのだと思う。
 そこにいるのは、自分と同じ辛さの中にあって、いたわってやるべき相手には見えていない。
 そこにいるのは、鬱状態の自分が自分自身を見てよく知っている、醜い人間。疎ましく、醜い自分の鏡像。
 だから相方のことも、疎ましい、醜い存在に見えてしまう。

 妻にこの考えを伝えたところ、まったく同感だという。この関係、もしかすると私たち夫婦だけではないかもしれない、そう思えてきた。鬱病同士特有のものだろうか?そうとも言えない気がする。

 だとすると、同じ病気に苦しみ、同じ辛さを味わっている者同士でさえ、お互いを理解し合うことは時として難しいということか。健常者と病人との関係とは異なる構図で。人と人とが理解し合い、支えあい、いたわり合うことは、今まで考えていた以上に難しいことのように思えてきた。夫婦の間でさえ。いや、夫婦の間だからこそなのかもしれない。

 頭のなかで描いている理想像と、自分の頭のなかで起きていることの落差に、自分でも驚くと同時に、自己嫌悪感に見舞われる。

 やはり鬱状態の妻を疎ましく思う気持ちを乗り越えるのは難しい。妻にとっての私も、そう簡単に変わるものではないだろう。さて、どこから手を付けたものか。だが、きっかけはきっと、些細なことのような気もする。