あてにならぬ

 約10年前、今の職場に転勤してきて程なく、あるプロジェクトのメンバーの一人にと誘われた。わりと得意な分野だという自負もあったので、引き受けた。

 しかし、程なく躁うつ病が発病・悪化して、仕事どころでは無くなった。出勤しても何も出来ずに帰るだけの毎日。一時は休職もした。

 そんな具合だから、件のプロジェクトの仕事を任せられることは無くなった。まあ、当然だ。

 しかし、近頃になって躁うつ病がだいぶ軽くなってきた。まだ、躁状態で張り切りすぎたり、うつ状態で無気力、理解力、判断能力、意欲などの欠如はあるが。

 だから、相変わらずプロジェクトのごくごく一部、ほんの一部さえ任されることはない。当初、私が担当するはずだった仕事は、先輩がやって下さっている。やり甲斐もあるだろうが、負担も大きいのでは無いだろうか。先輩が仕事を始めた時は、それを私がお手伝いするということで始めたはずだが、最初に数度手伝っただけで、今は声もかからない。まあ、躁だったり鬱だったりとどちらに転んでも使い物にならない奴は、初めから当てにしない方が賢明なのは間違いない。当てが外れると、結局、大変な思いをするのは先輩だから。

先輩 「〇〇君は、本社へ転勤して△△君と一緒に仕事をする方が良いんじゃないか。彼なら温厚な性格だし、丁寧に面倒をみてくれるよ、きっと」

私「私はようやく病状が落ち着きつつあることですし、『××支社には〇〇君がいて、頼りになるよ』って言ってもらえるような存在になりたいと思っているんです」

先輩「でも、君の仕事は君じゃなくても、誰が来てもやるからなぁ」

 過剰に期待されるのは、もちろん辛い。けれども、まったく当てにされないというのも、やっぱり辛い。やっぱり、ここの支社では無用なのか。厄介払いをほのめかされているのだろうか。

 以前は、「この分野は俺にはさっぱりわからないから、〇〇くん、頼むぞ」とか、「この地域じゃ、 分野的にも俺なんかよりも君のほうが必要とされているんじゃないか?」などと言ってもらっていただけに、あまりにも期待に答えられない私に、いい加減に愛想が尽きたのかもしれない。

 この文章、恐らく、病気から来る鬱や躁では無い気分で書いているように感じる。
 訳も無く悲しくなって泣き言を書いている時とは違う気がする。
 訳も無く感情が高ぶって書いている時とは違う気がする。

 けれども、泣きたくなってきた。いや、涙が出てきた。
 冷静な気持ちのままに出てくる涙は、かなり堪える。

 だが、大の大人がめそめそ泣いていても仕方がない。
 一度「あいつは頼りにならないやつだ」と思われてしまったのを覆すのは難しい。
 しかし、「やっぱり、あいつは頼りになるな。安心して仕事を任せよう」と思われるようにすればいいじゃないか。
 さて、どうする、自分?