価値の無い自分

 近頃もまた、相変わらず躁と鬱の波に翻弄されっぱなしだ。自分が情けなくて仕方が無い。その愚にもつかない嘆き節は、ハイクにもついつい、しばしば書いている。

 自分の存在が、存在意義が何なのか、分からなくなっている。単に役立たずなだけで無く、迷惑な存在に違いない、そう思えてならない。

 そんな私に、同僚の1人がこうアドバイスをしてくれた。(「あかり」は我が家で8年間一緒に過ごしてくれた、垂れ耳うさぎの愛娘。今はお月様に帰ってしまったけれど。)

自分が価値のない人間に思えてとても辛く思う時には、、、

まず、「あかりちゃん」の可愛い姿を思い出し、あかりちゃんに癒してもらってから、
(心から負の感情を追い出してから)

「(その)人のために今、自分は何ができるか?」を考えてみてください。
そうすることで、今の自分にできる役割や姿、大切なことが見やすくなるのだそうです。

 自分の無力さに押しつぶされている今の私には、そう言われても、すんなり入ってこない。「妻のために、給料を稼いでくればいい」? だが、その給料は働きに見合わぬ過分な金額、給料泥棒に思えてならない。何だか、却って落ち込む気もする。

 このアドバイスをくれた同僚は、「今は理解できなくても、心配されずに、またの機会に目を通してください」と添えてくれた。

 上手く行かない時は、何をやっても上手く行かない。だったら、しばらく何もせずに良い波が来るのを待つのも手か。

 ただ、仕事の締め切りは容赦なく迫ってくる。待ってはくれない。なかなか折り合いが付けられないのが困ったものだ。