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 数年前から、5〜10年に1度の定期的な調査を、職場の先輩と後輩に手伝って頂いている。一箇所の調査は5〜10年に一度だが、毎年、そのどこかしら2箇所程度の調査を行っている。一箇所の調査は、大抵1週間、時には2週間にわたる。


 手伝いをお願いし始めた頃は、何のためにこの測定を、どのように行うのか、といったことを説明しながらの調査だった。つまり、私から手順を手取り足取り指示しながらの調査。


 しかし、非常に勘が良く段取りも良い上に、必要であれば段取りや調査道具の改良にも積極的な彼ら。調査内容はほぼ一定なこともあり、作業道具を手製で改良したり、あると便利そうな道具を見つけて「こんなの見つけたけど、試しに買ってみませんか?」と提案して下さったり。今ではぐずぐずしている私の先回りをして、作業手順の段取りや、時には日程的な段取りまで提案して下さる。


 先日の調査出発前などは、私が一応済ませているはずの調査道具のチェックまでして下さった。「くにさん、あれは持ちました?あれは入れました?」「あれも持って行った方がいいんじゃないですか?」チェックしてみると、車に積み忘れていたものもあった。
 例年であれば、前夜遅くまで調査道具等の準備をしていても、忘れ物をすることはほとんど無い。しかし、今回の調査は重要なプレゼンの直後。早め、早めに準備をしておけばこんなことにはならないのだが、それができるぐらいならば苦労はしない。(←おいおい、開き直ってどうする?)


 これだけ、彼らに頼り切りの仕事をしていると、また、私の悪い思考パターンが顔を出す。
「自分は何て役立たずなんだ。この方たちさえいれば、自分などいなくても必要な調査は出来てしまうでは無いか」


 こう思いつつ、彼らに「いつも本当に済みません。頼りっぱなしで。ありがとうございます」と告げる。本心から、そう思って。本心から、「自分は何て役立たずなんだ」、そう思って。


 すると大抵、次のような言葉が返ってくる。
「いえ、自分たちも楽をしたいだけですから」


 なるほど、確かに私が忘れ物をすれば、余計な作業が増えて作業が大変になるのは目に見えている。だが、彼らの立場からすれば、出先でこう言うことも出来るはずだ。

 「あれを忘れてきたのなら、◯日間で〇〇の測定は無理ですよ」

 仕事とは言え、単に「楽をしたい」だけであれば、「手を抜く」という方法もあり得るだろう。だが、彼らはそうはしない。むしろ、楽をすることによって生まれた「余裕」を、よりよい調査のために使うことも考えて下さる。「こうすれば、○○の測定も簡易的にでは無くてすべてに対して行えるのでは?」という具合に。


 考えてみれば、このことは彼らが「仕事が出来ない私」が「少しでも仕事を出来るようになるために」、いろいろと考えて下さっているのに他ならないのではないか。


 それに、どんなデータをどのように測定する必要があるのかを考えて、必要な道具をリストアップすることや野帳の準備。関係機関への連絡・調整、予算の配分、必要な物品の購入手続き。事前の日程調整、自動車の予約、宿泊先の予約、出張に必要な数々の書類の作成・提出。これらは私がやらないことには始まらない。例え、手伝って下さる方々が気を回して下さって、彼らから私がせっつかれることがあったとしても。


 また、取得してきたデータを解析し、その成果を公表するのは、他ならぬ私の仕事。手伝って下さっている方々は、私で無ければ出来ない、私がやらなくてはいけない仕事に集中できるようにと、嫌な顔一つせず、決して楽では無い調査を手伝って下さっているのだ。そうだ、そうに違いない。


 私も彼らの協力を無にせぬよう、自分がなすべき仕事に専念しよう。


「自分は役立たずなんかじゃ無いんだ。この方々がいるからこそ、私は私でなくては出来ない仕事に専念できるのだ」


 うん。そう考えよう。そう考えるべきなのだ。