メンタル

 スポーツ選手に関して「○○さんは、とてもメンタルが強いですからね。素晴らしいですね」みたいなコメントをよく耳にする。今はその、4年に1度の最盛期だろう。いや、冬期もあるから2年に1度か。

 この時の「メンタルが強い人」というのは、「人並み外れた精神力、努力と自制心で、人並み外れた能力を獲得することができた人」といったところだろうか。

 だが、そうすると「メンタルヘルス」系の病気を患っている者は、「メンタルが弱い」ということになるのだろうか。「メンタルが弱い人」=「精神力、努力と自制心が足りない人」と言われている気がしてならない。

 もちろんメンタルヘルスの管理をしっかりとして、メンタルを鍛えたり、健康な状態へと導くことは可能だし、重要だし、うつ病躁うつ病の治療における心理療法は、まさにそれであろう。

 しかし、いくら頑張って「メンタル」を「ヘルス」な状態に保とうと努力しても、どうにも出来ないことがいくらでもあると思う。本人がいくら努力したとしても。

 こんな風に考えてしまうのは、私の単なる僻み症だろうか。だが、「メンタルが強い」とか「メンタルヘルス」という言葉を耳にする度に、しばしば複雑な思いに駆られる。

 だが、「どうせ私はメンタルが弱いですよ」といじけてみても始まらない。そもそも、「メンタルが強い」というフレーズの中の「メンタル」と、「メンタルヘルス」という語の中の「メンタル」は、意味合いが違うような気もしてきた。一つの言葉にもいろいろな概念が含まれているし、和訳する時にも意味合いが異なってくる。例えカタカナに置き換えただけだとしても。「メンタル」と「mental」は異なるのでは無かろうか。

 さて、つまらぬ愚痴はこのぐらいにして、「メンタルがどうのこうの」の解説は聞き流して、素直な気持ちで、頑張っている選手たちを応援するとしよう。ビールでも飲みながら、歓声を上げながら、拳を突き上げながら。うじうじ考えて、悩んでいじけているよりも、その方がずっと精神衛生上、良いはずだ。テレビの向こうで全力で闘っている「メンタルが強い」アスリートたちも、きっとそれを望んでいるはずだ。

追記
 「メンタルが強い人」=「努力できる、気力に満ちた人」という印象を受ける。
 一方、「メンタルヘルス系の病気を患っている人」=「努力が足りない人、無気力な人」という印象。

 努力できないこと、気力が湧かないことは病気の症状であって原因では無いのだが、自分に対してそういうイメージを持ってしまい、自己嫌悪に陥り、ますます鬱状態にはまり、ますます努力できない、無気力な人間になっていた。最近は、そんな風に思うことはずいぶん少なくなった。もっとも、再び鬱状態に陥った時、同じ事が書けるかどうかは、まだ自信が持てないが。

 ただ、その一方で気になることもある。うつ病に対する世間一般の理解は確かに進んだと思う。けれども、やはり今なお、健常者からうつ病などの患者に対して、先述のようなイメージを持たれることがあるのではないか。患者自身でさえ、自分に対してそういうイメージを抱いてしまうのだから。「あいつは根性がたりないから、うつ病なんかになるんだ」という具合に見られてしまいはしないだろうか。

 そんな思いが、この日記を書いた理由である。