治療は目的じゃ無かった

今日は珍しく、躁でも鬱でも無い穏やかな1日だった。いつも躁か鬱かに振り回されて、中庸な状態が滅多に無いので、こんな穏やかな日は珍しい。

「よし、今日は仕事を片付けるぞ」そう思って机に向かったのだが、どうも何かが足りない気がする。エンジンがかからない。鬱状態の無気力症とは違う。何が足りないのだろう?

これまで10年以上も、躁うつ病寛解を目指して治療を続けてきた。病気について色々と調べ、主治医やカウンセラーとも色々と相談し、毎日薬を飲み続けて。病気との付き合い方についても、色々と試行錯誤を続けてきた。

しかし、目指している寛解は、安らかに生活し、精力的に仕事をするための手段に過ぎないのだ。いつの間にか手段が目的になってはいないか。寛解した時に何がやりたいのか、いつの間にか見失いかけているのでは無いか。

危ない、危ない。軌道修正しなくては。