「要注意人物」による「伝える努力」

 所長からの命で、今日、職場でちょっとした講習会の講師を務めた。

 講習会を前に、二つの不安があった。

 一つは、用意した講習の内容が聴衆の関心に応え得るものであるかと言うこと。これは、私にとってはいつものこと。最善の努力をするまでだ。

 二つ目は、今回に限った特別な事情だった。
 一昨日、躁状態の焦燥感によるイライラを鎮めることが出来ず、暴れてドアを蹴り壊すなどして多くの方に迷惑をかけ、心配させてしまった。自分では怒りがピークに達していた時のことをよく覚えていない。だが、立ち会わせた中の一人に聞くと、暴れたり部屋から血相を変えて飛び出していったりするなど、尋常ならぬ行動だったという。私が躁うつ病であることを知っている彼も、さすがに「ドン引きだった」と言っていた。

 こんな「要注意人物」による講習会など、聞きたくなるだろうか?参加は自由。今回の「破壊活動」騒動で、周囲からの信用が失われていても不思議は無い。少なくとも、騒動の顚末を知っている人は、参加に二の足を踏むのでは?と思っていた。

 しかし、蓋を開けてみると予想以上の聴衆が。しかも一昨日、暴れる私の元へと駆けつけてくれた方々を含めて。

 これはつまり、一昨日の一連の騒動の後でも私は「要注意人物」としてみられるのでは無く、ちょっと厄介な病気を持った一人の人間として扱ってもらえたと思って見なしてもらえたからなのに違いない。

 私を見て「ドン引きだった」と話してくれた彼は、こうアドバイスしてくれた。
 「躁うつ病はこういう病気です。病気のせいでこういう言動をすることがありますよ」と病気について少しでも多くの人に伝えておくべきだと。私の説明を聞いて好ましく思わない人がいたとしても、恐らくそれは一握りの人たち。そのごく僅かな人たちの目を気にするより、少しでも多くの人に病気のことを知っておいてもらうことが、自分自身を守るために必要だと。
 続けてこう言った。「私たちがあなたのことを理解しようと思えるのは、あなたが病気を治そうという努力が伝わってくるからですよ」と。

 彼の言葉を聞いていて思った。病気のことを、病人であることを理解してもらい、受け入れてもらうには、少なくとも以下の二つの「伝える努力」が必要なのだと。

 一つ目は、躁うつ病について説明し、理解してもらうこと。
 二つ目は、病気を治そうと努力していることを伝えること。

 もっとも、後者は言葉で伝えるものでは無い。それに、病気を治そうとしているのは、私自身が少しでも早く平穏な生活を取り戻し、まともに仕事をこなせるようになりたいから。でも、その姿勢を見る人は見ているものなのだ。そして、私の「治りたい、治したい」という思いが伝わっていたからこそ、「要注意人物」のレッテルを貼られてアンタッチャブルな存在にすることなく私に接してくれているのだ。

 今後も周囲からのそのような暖かい視線を裏切ることが無いよう、治療に励むと共に「伝える努力」をしていこうと思う。