自信をすっかり失っている、鬱状態の君へ

鬱状態の君へ。

 君はまた、いつものように「自分は全然努力していない」「何も出来ない」「何の役にも立っていない」「全然仕事をしていない、どうやったらいいか分からない」などと考えているんじゃないかな。

 確かに病気のせいで、健常者に比べれば努力したくても出来なかったり、出来ることが限られたりしてしまうことが多いだろう。でもさ、それは仕方ないんだよ。君の病気は「努力しなくてはいけないのに、それが難しくなってしまう」という厄介なやつなんだから。それにね、病気の君にだって、何も出来ない訳じゃない。小さなこと、ほんの些細なことでいい。自分に出来ることを探して行動していけば、それは君自身の血となり肉となる。ちりも積もれば山となる、だよ。「何も出来ない」と思い込んで、本当に何もしないでうずくまっていたのでは、本当に努力できない、何も出来ない人間になってしまうよ。

 今、君は「自分は何の役にも立たない人間だ」なんて思っているんじゃないかな?そんなはずはないんだよ。職場でだって、君を頼って助けや協力を求めてきてくれる人がいるじゃないか。君を必要としてくれる人たちがいるんだよ。君は、役に立たない人間なんかじゃないんだよ。

 それから、「早くちゃんとした仕事をしなくちゃ」って焦っているんじゃないかな?「ちゃんとした仕事」って何だろう?皆をうならせ、たくさん引用してもらえるような「立派な論文を書くこと」かい?それって、いきなりフルマラソンサブスリーとか、2時間30分台を出そうだって考えるのと同じようなことじゃないかな?まともに考えてごらんよ、そんなこと、絶対出来るわけ無いじゃん。

 もしかしたら、いつかは出来るかも知れないよ。まったく不可能ではないと思う。でも、最初からそんな記録を達成しようだなんて、病気のハンディが無い人にだって無茶な話しだよ。いつかはそんな記録でゴールすることを思い描いていてもいい。でも、そのためには、それこそ「今できる小さな努力」から始めなくちゃ。

 ウォーキングを始める、その時間を、距離を延ばしていく。体力が付いてきたらジョギングを再開する。そして、その距離や時間を少しずつ延ばしていく。そのうち、マラソン大会にもまた出られるようになるよ。そうそう、10年位前には、しょっちゅうハーフマラソン大会に参加していたじゃないか。表彰状をもらった時もあったじゃん。それって、すごいよ。一度だけだけど、奥さんと一緒にフルマラソンも走ったね。君が横に並んだり、少し前を走りながら振り返っては声をかけて、一緒にゴールしたんだよね。時間はずいぶんかかったけれど、2人でちゃんとゴールできた。よく考えると奥さんもずいぶん頑張ったよなぁ。いくらタイムが遅いとしても、トレーニング無しにフルマラソンを走るなんて、まず無理だからね。2人とも、地道に練習したんだね。

 そうだ、岩手山登山マラソンなんていうのにも参加していたね。岩手山の麓から山頂まで駆け上がって、駆け下りてくる。あんなことが出来たのは、日頃からコツコツと、決してそんなにハードではないけれど、出来る範囲でちょっとしたトレーニングを積み重ねていたからなんだよ。あの経験を思い出して、少しずつ長く歩くことから始めていけば、以前より時間がかかったとしても、また走れるよ。フルマラソンだって。そして記録を更新していけるはずだよ。おっと、すっかりマラソンの話しになってしまった。すまん。

 え?「研究とマラソンは違う」って?いや、君は走るのが好きだったから、分かりやすいだろうと思って喩えてみたんだよ。それに、今の君は完璧に紛れもないメタボのオッサンだから、ちょっとは運動した方がいいと思ってね(笑)。だけど、今だって君は、また走りたいって思っているんじゃないかい?

 ん?今度は「マラソン大会には今までに何度も出たから、また走れるかも知れないけど、論文はろくに書いていないから自信がない」だって?だけど、少しは書いただろう?査読が厳しくないとはいえ、れっきとしたレフリー付きの雑誌に。あれって「普段より少し遠くまで歩けた」とか、「小高い丘に駆け上れた」っていう感じじゃないかな。
 それに、走ることだって小学生の時には、初めのうちは2,3kmが、いや、きっと最初は1km位が精一杯だったんじゃないの?最初から走れたわけじゃないんだよ。少しずつ練習を積み重ねていったから、だんだん長い距離を、速く走れるようになったんだ。
 今の君は、論文を書くと言うことに関しては、走ることに喩えると小学生の頃の君ぐらいなのかな?「それじゃ、あまりにもレベルが低すぎる」って?だからさ、それを恥ずかしがって歩くのを、走るのを辞めたらダメなんだってば。それじゃ、いつまで経っても記録は伸びないんだよ。っていうか、ゴールに一歩も近づけないんだよ。

 あまり走ることに喩えすぎたかな。話を仕事に戻そうか。今まで、仕事場に行って机の前で、毎日何もせずに過ごしてきた訳じゃないだろう?いや、確かに居眠りはしているみたいだけどさ。それも病気による過眠症だから仕方ないんだってば。でも、以前よりはだいぶマシになったでしょ?きっとそのうち、今よりもっと良くなるから、焦らずにきちんと薬を飲んで治療を続けること。これが、君が今よりも努力家になり、仕事が出来るようになるために、今の君に出来る、一番の努力だよ。焦らない、焦らない。
、それでさ、これまでに行った解析結果やデータを取りまとめて整理し、読みやすい文章にして投稿する。それぐらいなら、できるよね?そこから始めようよ。大丈夫、きっと受理してもらえるよ。リジェクトされたら、あるいは確実にされそうなら(笑)、ハードルの低い雑誌に投稿すればいいじゃない。支部会誌とかね。査読が易しくたって、論文1本は1本。胸を張っていいんだよ。

 読みやすいかどうかは別として、君は文章を書くのが意外と好きだろ?ちょっと長すぎて、まわりくどい嫌いはあるけれどね。鬱だと言っては悩み事をブログや、あるいは友人・知人へのメールにあれこれと書き連ねている。それに、今、躁状態の私も、やはり書くことが好きだから、君に宛ててこんな手紙を書いている。やっぱり長ったらしくて、回りくどいけれどね。それに、忘れないで欲しい。これを書いている躁状態の私も、これを読んでいる鬱状態の君も、本当は同じ1人の君であり、私であるんだよ。下手で分かりにくい文章は、先輩にお願いして見てもらって、推敲を重ねて練り上げていけばいい。内容に問題点さえなければ、査読者も別に意地悪をする訳じゃない。読みやすい論文になるように、まずいところを指摘してくれるんだよ。前に投稿した時もそうだったでしょ?

 今度はなんだい?「歩き始めればいいのは分かったけど、どこへ向かって走ったらいいか分からない」?それも、初めからどこか遠いゴールに向かおうなんて考えない方が良いと思うよ。とりあえず、行きたい方向へ向かってみたら?自分で気持ちが良いと思う方へ。必要な方向があるなら、そっちにいったらいいし。ウォーキングついでに買い物?買い物ついでにウォーキング?

 すまん、すまん。またウォーキングの話しになっちゃった。要するにさ、研究論文としての評価は低いとしても、自分で興味が持てて、取り組んでいて楽しいテーマとか、林業や森林管理の現場で必要とされているようなテーマとか。あるいは、論文とは違うけれど、林業や森林について一般の人に関心を持ってもらえるような文章を書くのでもいいよ。君だって、自分の専門分野に関係することなら少しは何か書けるだろ?同じ分野の人が書いた論文の内容を、自分なりに分かりやすくかみ砕いて書くことだって、自分で論文を書くのとは違うけど、それなりに意義のあることだと思うけどな。それから、一般の人に森林・林業に関心を持ってもらい、理解してもらえるようにするための手法に関する研究、なんていうのもあるよね。君、そういうの結構好きでしょ?だけど、これは君に求められている守備範囲じゃないから、あまり好き勝手にやると怒られるかな?(うまく自分の分野にこじつけて、怒られないように楽しんじゃうというのも手じゃないかな?一緒に作戦、こっそり考えようか?)

 でも、研究なんて、自分が好きだと思えることじゃ無いと続けられないもんね。そして、もしそれが社会の役に立てば、ほんの些細な貢献であっても、自分にとっては大きな喜びになると思うよ。そのうち、何が必要なのか、何が重要なのかが見えてくるんじゃないかなぁ。なーんて、偉そうなこと言ってるけれど、実は、私も論文をろくに書いてないんだよね。君と一緒で(笑)。軽躁状態の私は、君と違って根拠もないのに妙に楽天的でね、これはこれで結構問題なんだけど。
 出来ることならこの性格、君の性格と足して2で割りたいと思うよ。そしたら、結構まともになるんじゃないかな。妙に楽天的な私と、妙に悲観的な君、意外と気が合うと思うよ(笑)。

 最後まで読んでくれて、ありがとう。

 やっぱり長い手紙になっちゃったね。君と一緒で、短く上手にまとめるのが苦手でね(笑)。
 私が言いたいこと、少しは伝わったかな?もし、少しでも分かってもらえたら、グダグダと、ウジウジと悩んでばかりいて、うずくまっているのを辞めて、少しずつ歩き始めようよ。出来ることを探してやっていこう。お互い、頑張ろう。

躁状態の私より