減俸?
躁鬱病による睡魔が、仕事中であろうがなかろうが、容赦なく襲ってくる。あらがうこともできずに、仕事中に深く居眠りしてしまうことも日常茶飯事。
鬱状態だと集中力も思考力も極端に低下してしまう。一方、躁状態だと頭の回転が速くなったような気がするのだが、実際のところは「空回り」状態。おまけに、思考や関心が次から次へと発散して、落ち着いて物事を考えることが出来ない。単なる言い訳では無く、典型的な躁うつ病の症状。そんな調子だから、業績などろくにあげられずにいる。もう、何年もの間。
主治医は、病気が寛解すれば、本来の能力(これも十分な能力である自信はないが)を発揮できる状態に戻れる、と言う。しかし、そう言われ続けて久しい。
給料は多くもらえるに越したことはないが、一人前の仕事ができないのに給料だけは一人前、というのは非常に心苦しい。いっそのこと、減俸でもしてもらった方が気持ちは楽だと、時々思う。いや、しばしば思う。減ったら減ったで、困るのではあるが…。
しかし、このことを妻に話したら、
妻:「立って仕事してみたら?」
私:「立っていても、眠っちゃうよ」
妻:「濃いコーヒーやお茶でもたくさん飲んでみたら?」
私:「やってみたけど、さっぱり効かないよ」
妻:「ガムでも噛み続けてたら?」
私:「噛んでいたはずが、いつの間にかヨダレを垂らして爆睡してたよ」
妻:「あまり頭を使わない仕事でもしてたら?」
私:「うつ状態だと、どうしても、その気さえ起こらないんだよ」
こんなやりとりの末、妻がたまりかねてこういった。
「ああ言えばこう言うで、あなたは何て後ろ向きなの!?」
と。
と、ここまで書いてしばらく経ってから、ふと思った。自分は何という病人思いの、障害者思いの職場に勤めさせていただいているのだろう。今のご時世、非常に恵まれた境遇にいると、、大いに感謝せねばなるまい。
いずれ、業績をどの程度上げることができたかによって給料を配分する、いわゆる「出来高制」の時代も来るだろう。それまでもうしばらくの間、「病気を抱えながら、出来る範囲で仕事をしているで賞」、「病気を治そうと努力しつつ、仕事と向き合って頑張っているで賞」、「そのうち活躍できると信じているのだよ賞(?)」という、「努力賞」を頂いているのだと考えることにした。
病気が緩解しても、私の能力ではいわゆる「輝かしい業績」を残すのは、到底かなわないだろう。だが、私にも私に向いた役割があるはず。きっと。某かの形で、組織に恩返しを出来る日も来るだろう。そう信じて、それまで、もうしばらくの間、あまり卑屈にならずに「努力賞」を頂戴することにしよう。
(こんなことを書いても、忘れっぽい私は、これからも何度も同じ悩みに苦しめられるだろう。だから、この文章は誰かに読んでもらうためではなく、今の、そして今後の自分が読み返すための覚書。)