母の日に思う

 両親へ。特に、お母さんへ。産んでくれて、育ててくれてありがとう。これは、多くの人が感じる感謝の念だろう。


 だが、私には両親に命の危機から救ってもらった経験がある(もっとも、多かれ少なかれ、皆さんにもそういう経験はあるのかも知れないが)。


 私は小学4年生の時に髄膜炎にかかった。あの時の並ならぬ悪寒と頭がかち割られるかのような頭痛、そして恐怖心は今でもありありと思い出す。その数日前に3つ歳下の弟が、やはり髄膜炎を発症し、即、入院していた。


 両親はほぼ同じ症状を呈する私を連れて、急遽、弟が入院している病院へと向かった。「この子も同じ病気に違いない」と。髄膜炎は処置が悪ければ後遺症が残ったり、最悪の場合、死に至ることさえあるという。


 しかし、私の最初の担当医は弟を診察した先生とは異なり、まだ若い医師だった。あっさりと「風邪ですね」との診断で帰されそうになった。そこで母は、しつこく食い下がってくれた。「この子の弟が同じ症状で、髄膜炎との診断でこちらに入院しているんです!ちゃんと診て下さい!弟を診て下さった先生に診察をお願いします!!」と。そう言われてもプライドが邪魔してか、弟の担当医による診察を渋る若手の医師に、母は何度も何度も、執拗に頼み続けてくれた。


 ようやく弟を診察した先生の登場となり、検査の結果、即、入院となった。状態としては弟よりもやや悪かったとも聞いている。お陰で死ぬかと思ったほどの苦しい症状は徐々に改善し、次第に楽になっていった。それでも入院生活は確か2か月前後、あるいはそれ以上に及んだ。しばらくはベッドから離れることも許されず、入浴はもちろん、排便も看護士さんを呼んでベッドでする始末。面会時間直前に催してしまい事を済ませたときは、同室の子らの大顰蹙を買い、いじめられたりもしたものだ。


 今、私は躁うつ病てんかんを患っている。どちらも因果関係は確かでは無いが、髄膜炎の後遺症として発病した可能性も否定できないと、現在の主治医もいう。だが、今更髄膜炎にかかったことを恨んでみても何の足しにもならない。


 仮に、今患っている精神疾患髄膜炎の後遺症だとしても、何かと不便なことはあるものの、こうして一応自立した生活を送ることができている。あのとき、もし母が若い医師の診断に対して「はい、そうですか」と引き下がっていたとしたら、私の後遺症はもっと重い物になっていたかも知れないし、あるいは、すでにこの世に存在していなかったかも知れない。


 ここに書いたことをすべて母に伝えたら、母は「何でもっと早く病院に連れていかなかったのだろう」「もっと早く弟の主治医に診てもらうことはできなかったのか」「別の病院に連れて行った方が良かったのでは無いか」などと、強い自責の念に駆られるであろう。


 だから母には、直接には「あの時はありがとう。お陰で命拾いをしたよ。でも、今の病気とは関係ないって先生も仰ってるよ」とだけしか伝えることは出来ない。だが、この気持ちを自分の胸裏にとどめているも、いつも何だか心苦しく感じている。


 日頃、「何で自分はてんかん躁うつ病に患わされなくてはならないのだろう」という思いに苛まれるが、そんな時、なるべく「それらがもし髄膜炎の後遺症だとしても、母の(両親の)お陰でこうして今、生きていられるじゃないか」と思い返すようにしている。そう思えば、てんかんだって躁うつ病だって、どうってことないじゃ無いか、と。もちろん、てんかん躁うつ病の症状も楽では無いから、いつもそのことを簡単に思い返せるとは限らないが。でも、決して忘れたことは無い。


 母の日を迎え、ふとそんなことを思い返し、母には直接聞こえぬように、読まれぬように、独白的に母への感謝を綴ってみた。(独白といっても、数名の方には半ば強制的に読ませちゃいますが… (^_^;) )


 そんなわけで、今のところ読者数名のこのブログですが、ここまで読んで下さった貴重な読者の皆さん、どうもありがとうございます。