宿題とおやつ、掃除とキャッチボール

 妻が最近、キャッチボールをやりたいと言い始めた。今年、どういう訳か野球観戦に目覚めた影響だろう。そんなわけで先日、グローブとボールを買ってきた。

 話は飛ぶが、妻は家事が大嫌いである。その非道さは尋常では無い。掃除などは微塵もしない。彼女が箒、ちり取り、雑巾を手にするの姿を目にするのは、四つ葉のクローバーを見つけるのと同じぐらいに困難なのでは無かろうか。野球を毎日欠かさず見て、キャッチボールをする暇があったら、雑巾がけの一つもしろと言いたくなる。

 さて、話しはキャッチボールに戻る。当然ながら、キャッチボールは一人では出来ない。妻のキャッチボールの相手は私だ。そこで、一計を案じた。「掃除をしないなら、キャッチボールの相手はしないよ」という台詞を。

 私がこの台詞を口にすると、やはり彼女は「嫌だぁ」と応じる。「それなら、ちゃんと働けよ」と私。

 まるで、「宿題をやらないと、おやつは抜きだよ」と言われる子どものようだ。いい歳をした大人の会話とは思えぬ。だが、それで上手くいくなら、それを使わない手は無い。

 予想通りこの台詞は、なかなかいい殺し文句だ。彼女に掃除をする気にさせようと、これまでに考えた台詞の中で最も効果的では無かろうか。まだ、彼女とのキャッチボールを始めて日は浅いが、しばらくこの手で、様子を見るとしよう。

 ところで、妻とキャッチボールをしていて、一つ気がついたことがある。キャッチボールをしている時の彼女が、本当に楽しそうに、生き生きとした顔をしていることを。その嬉しそうな顔は、彼女が大好物を口にする時に匹敵する。度々休憩を求め、短時間で終わる点が異なるが。私の思い違いで無ければ、彼女はどうやら、白球のやりとりだけで無く、言葉と言葉の、心と心のキャッチボールをも楽しんでいるように見えるのだ。

 彼女の乳がんの手術が一か月後に控えている。手術後も、楽しそうにキャッチボールをする彼女の顔を見られることを祈りたい。それから、家の中が綺麗になることも。