「躁うつ君」が教えてくれること

 私は双極性気分障害、いわゆる「躁うつ病」を患っているのだが、近頃は必要が無い限り、「躁うつ君」と呼ぶことにしている。「鬱」という漢字は見ているだけで「憂鬱な」気分を一層強めてくれる気がしてならない。
 また、完治はせず、薬を飲んで寛解した状態を保つこの病気、「病」をつけると一生自分が「病人」であることを意識し続けることになるだろう。あまり良い心持ちでは無い。だから、厄介な相手ではあるが、一生付き合う「躁うつ君」。

 そんな躁うつ君に対して、「いい加減に、意地悪勘弁してよ」という日記を先日書いた(またしても、躁うつ君の「眠れ眠れ攻撃」がきた〜)。

 この日記に、ある方からコメントを頂いた。私と同様、躁うつ君に悩まされ続けたが、今は比較的仲良く付き合えるようになっている方から。

その障害によって得たもの。それを受け入れるだけでなく、感謝する。
職場の人に支えてもらったり健常者が経験出来ない、ありがたみを味わう事ができたり、
そんな考え方をして、また同じ人生でもそれを選択したいと思うのが、永遠回帰の思想だそうです。

そんな風に考えるまで、それを受け入れるだけでなく、欲する事が出来るまで、
時間がかかるけれど、そんな考え方素敵だし、凄いと思いました。
しんどいと思う事。沢山有りましたが、今もしんどいと思う事有りますが、
ネガティブにならないよう、頑張ります。

 今までにも、数名の方から同様のことを教えて頂いた。もちろん、そのことをすっかり忘れてしまったわけでは無い。ただ、近頃の私は、やっかいな躁うつ君を受け入れられるようになることに必死になりすぎるあまり、近視眼的になっていたのかも知れない。

 躁うつ君と一緒になったがために経験している数々のことは、決して厄介なことばかりでは無く、非常に有り難い、貴重な体験でもあるということを、危うく忘れかけていたようだ。

 そのことを忘れずにいられれば、実は、躁うつ君は私に大切なことを体験させ、気付かせてくれる、貴重な友人でもあるのだ。きっと。

 このコメントを読んでから床についたら、身の回りの多くの方々に対する感謝の気持ちが、その方々の顔や言葉、頂いたメールの文面などが次から次へと思い起こされてきて、心が温かくなって(部屋は暑すぎたが(笑))、ゆったりとした気持ちで眠りにつくことができた。
 こんなに夜中、ぐっすり、よーく眠っても、「躁うつ君」はまた仕事の邪魔をしに来るのだろうけれど…。