恋愛相手と結婚相手

 「彼氏(彼女)のにするなら誰々、結婚するなら誰々」などという言葉を時々耳にする。どちらかというと、特に女性からこの手の台詞が出ることが多いように感じる(残念ながら、私はどちらの部類にも入っていなかった気がするが、そんなことは、ここではどうでもいい)。

 若い頃は、こういう考え方が何だか卑しいような気がして、好きではなかった。大学で「利己的遺伝子」の概念について学ぶまでは。人間も生物の一種であるから、本能的に配偶者には、自分の遺伝子を確実に残してくれる相手を選んで不思議はない。だから、外見よりも高収入を望む傾向があると考えれば、納得がいく。

 野生生物が恋愛相手と結婚相手を(恐らく)区別しないのは、「外見のよい者=力の強い者」という図式が成り立つからかも知れない。昆虫、鳥、魚、ほ乳類等々、美しく凛々しい雄の方が、生存競争にも強そうなことが、テレビの野生動物番組などからも窺える。人間の場合、美しさに対する志向と強さ(生活力)に対する志向が、進化につれて分化したのかもしれない。

 もっとも人間は、やはり野生動物とは違う。だから、外見や収入よりも性格、人格、価値観の相違などといったことの方が、重要になることも少なくないのだろう。