あかり、誕生日おめでとう。そして、旅立ちからの1年におめでとう。

 あかりが8歳の誕生日を迎えたのが去年の1月31日。そして、お月さまへと旅立っていったのが、同じく2月3日。あれからもう、一年が過ぎた。もう、歳をとることはなくなってしまったけれど、誕生日おめでとう。そして、8年と3日、よく頑張ったね。お月さまへの安らかな旅立ち、ちょっと変かも知れないけれど、おめでとう。お祝いに、新しい花を買ってきたよ。きれいでしょう。気に入ってくれるといいな。

 私の朝は、毎日あかりへのあいさつから始まる。水を替え、あかりの大好物のバナナや季節の果物を供える。そして、手を合わせて話しかける。「おはよう、あかり。今日も元気かい?ウチの子になってくれて、本当にありがとう。あかりと出会えて、おかあちゃんもおとうちゃんも、とっても幸せだよ。今日はどこを跳びまわっているのかな?忘れずにウチにも遊びに来てね」と。

 あかりがお月さまに帰ってしまってから、あかりのことをブログに書くこともなくなった。初めはきっと、書けなかったのだと思う。他のうさぎの顔を見るのも辛くて、しばらくはうさぎ屋さんに足を運ぶことすらできなかったぐらいだから。

 もっとも、それからしばらく経ってからも、あかりを含めてうさぎのことをブログに書くことはなかった。あかりの新しい写真が増えることもなくなったし、生来、筆無精なためでもあるだろう。

 ただ、もしかすると、あかりのことをわざわざブログに書く必要がなかったのかもしれない。ブログに記さなくても、あかりは私たち夫婦と一緒に居続けてくれるから。

 あかりは病気で苦しんだ体から自由になって、お月さまへと旅立っていった。しかし、身軽になったあかりの魂は、今や地球の、いや、宇宙のどこにでも自由に跳んでいける。月から地球まで、光の速さならわずか1.3秒。あかりは名前の通り光の子だから、月と地球の往復など訳もない。
 だから、今でもあかりはいつでもわが家に現れて、私たち夫婦の会話に毎日必ず登場する。というか、会話に入ってくる。もちろん、台詞は妻か私の代弁ではあるのだが。例えば、こんな風に。

   私 「あかりちゃま、朝食にバナナを一本、いただきますね」
  あかり「あ、おとうちゃんのドロボー。あたちのバナナ、とったわね」
   私 「泥棒だなんて人聞きの悪い。あかりちゃまは心のひろーいお方なんでちゅから、『おとうちゃん、一本どうぞ』って言うんでちゅよ」
  あかり「ちょうがないわね、いっぽんだけよ」

   私 「おや、満月が少し欠けてきましたねぇ」
   妻 「あかりちゃま、またお月ちゃまを食べたでしょう?」
  あかり「だいじょうぶよ、ぜーんぶたべても、あとでちゃんと、もとにもどるんだから」

 こんな調子だから、あかりのことを忘れられるはずがない。床に寝そべるその体を撫でられなくなったのはもちろん寂しいが、不思議と本当にいなくなってしまったという気がしない。心の中で生き続けてくれるというのは、こういうことを言うのだろうか。

 それから、あかりが旅立ったあと、モルモットの「あかごろう」とミドリガメの「あかぞう」が家族に加わった(モルモットにもカメにも名前に「あか」が付くのは、「あかり」からもらった名前。普段は「ごろう」「ぞう」と呼んでいる)。今やわが家はあかりを含めて5人家族。とても賑やかだ。
 これからも、ずっとよろしくね。大好きなあかり。

 ちなみに新しい家族達。

あかごろう君です。

あかぞうちゃんです(性別不明)。