ありがとう、あかり

 久しぶりにあかりが、ポリポリと小気味の良い音たてながら、牧草やペレットを食べている。今日はだいぶ食欲があるのかな。よかった。
 目が覚めた。なんだ、夢か。

 起き上がっていつものように、あかりを撫でようとしたが、ふわふわ、もふもふしたあかりの姿は、もうこの部屋のどこにもない。そうだった、あかりはお月様へ帰ったのだったな。

 8歳と3日目の2010年2月3日、あかりはお月様へと帰って行った。あかりの最期を看取った妻によれば、気がつくとあかりが首をうなだれ、体を震わせながら、口をパクパクとさせていたらしい。そして、30分と経たないうちにだろうか、心臓の音が聞こえなくなり、息が途絶えたと。
 出張先で報告を聞いた私の胸には、当然のことながら悲しみがこみあげてきた。しかし、同時に少し安堵した。あかりは長く苦しむ事なく、お月様へと旅立ったのだな、と。

 最後に獣医さんに診ていただいた時、先生から「そろそろ安楽死も選択肢に入れて、考えておいてください」と言われた。そういわれて、正直、何をどう考えたら良いのか訳が解らず混乱した。だが、その時、「いつ、おちゅきちゃまにいくかは、あたちがじぶんできめるわよ。よけいなこと、ちないでよ」、そんなあかりの声が聞こえた気がした。妻の耳にも、そう聞こえたという。

 8年間。私たちの物差しでは短すぎるが、うさぎにとっては十分に長い歳月を、あかりは太く、長く駆け抜けて行った。その間に、数え切れない、言い尽くせない多くのものを、私たちに与え、教え、分かち合ってくれた。
 うれしさ、楽しさ、安心、不安、ハラハラ、ドキドキ、ワクワク、甘え、ツンデレ、愛嬌、愛情、間抜けさ、滑稽さ、不思議さ、大切さ、大らかさ、自分らしさ、健気さ、気高さ、温もり、辛さ、切なさ、はかなさ、悲しさ、等々。私の貧困な語彙と表現力では、到底表し切れないのが残念だ。

 もしかすると、これらを全部引っくるめて「癒し」と言われるのかもしれない。だが、私たちにとってあかりは、「癒し」の一言では言い表し切れない、大きくかけがえのない存在だった。いや、過去形にはすまい。今までも、そしてこれからもずっと、あかりの存在は何物にも代えられない。

 癌と闘い続けたこの一年間は、さぞ辛く苦しかっただろう。だが、醒めることのない眠りについたあかりの寝顔は、もがき苦しんだのではなく、精一杯走り続けて疲れきり、ぐっすりと眠っているようだ。

 今までお疲れさま。本当にありがとう。大好きだよ、あかり。いつでも、また一緒に遊ぼうね。