躁うつ病は治らない?

 私の躁うつ病、ようやく緩解が見えてきた、そんな気がする。先日の診察で、主治医も「あと、もう一息なんだがなぁ。来年中には何とかなると思うんだが」、そう仰っている。実は、この言葉を聞くのは、確か3回目なのだが。先生もそれに気付いていて、「いや、前にもそういったとは思うけどな。そろそろ、来年中には」と、苦笑いした。

 その数日後、妻にこう言った。「俺の病気、いい加減、治ってもいい頃だよなぁ」と。すると妻は、「あんた、自分の病気が治ると思っているの?」

 「おいおい、そんな絶望的な言葉は無いだろう。もう、治療を始めて10年以上も経つんだぞ。早く治して、一人前に仕事が出来るようになりたいよ」心の中で、私はこう叫んだ。

 だが、そこで、はたと気がついた。症状はほとんど消えて無くなるはず、そう信じてきた。しかし、もしかすると、今より程度はずっと良くなるものの、ある程度は煩わしい思いをし続けるのかも知れない。今よりはずっと良くなるものの、やはり多くの人達よりは気分の変動が大きく、やる気があったり無かったり、思考がポジティブすぎたりネガティブすぎたりとむらっけで、多くの人達よりも長い睡眠時間を必要とし、日中の睡魔もひどい、と言った具合に。

 そして、もう一つ、気がついた。私は「病気が治ったら、まともに仕事が出来るようになるぞ」と思ってきた。これは、裏を返せば「病気が治るまでは、まともに仕事が出来ないんだ」という言い訳にはなるまいか。無意識のうちだとしても。「治れば出来る」という考えは、「治らなければ出来ない」、そんな言い逃れにもつながるのでは無いかと気づき、ギクリとした。

 そこで思い出した。自分のパソコンのディスプレイに貼ってある、付箋紙に自分で書いたメモを。

 「病気を受け入れた上で、何が出来るか考えよう」

 そうだ、病気が治るのを待ち、「治ったら全力でやろう」と思っていては、「病気だから仕事が出来ない」という思いに囚われ続けてしまうのでは無いか。「治ればできる」=「治るまでは出来ない」。これでは、もし症状が治まったとしても、私はいつまでも仕事が出来ない人間に成り下がってしまうのではないだろうか。

 「病気を受け入れた上で、何が出来るか考えよう」

 そう、いつだったのかは覚えていないが、自分で自分に、こう呼びかけたのだ。病気の症状で仕事に差し障りがあるのは、仕方が無い。だが、その与えられた不自由な状況の中でも、工夫次第で出来ることがあるはずだと。私という人間にとっては、病気による過眠症で仕事中も激しく眠くなるのは仕方が無い。集中力や理解力が無くなり、無気力になることが度々あるのも仕方が無い。仕方が無いけれども、調子の良い時は良い時なりに、悪い時は悪いなりに、出来ることをやれば良い。本当に何も出来ない時には、諦めてやる気が戻ってくるのを待てば良い。今までだって、長期にわたって無気力な状態、悲観的な状態が続くことはあっても、決してそこから抜け出せなかったことは無い(もっとも、その繰り返しこそが躁うつ病の症状ではあるのだが)。

 他人より心身の状態の変動が大きい人間であっても、今の自分がどういう状態にあるのかを見極められるならば、その状態を完全にコントロールできなくても、その時の状態に合わせた対応が出来るはずだ。そうではなかろうか。

 考えてみれば、実際にその状態に近づきつつあるのではないだろうか。

 うつ状態の時、特に大うつ状態の時には激しい悲観的な思考から抜け出せなくなる。
 つい最近も、仕事に関してほぼ完全に関心が無くなっていることに大きなショックを受け、仕事を続けることに疑問と不安を感じ、退職金の額を尋ねるほどに自己を否定する、そんな強烈な悲観的な状態にしばらくの間囚われてしまった。だが、さすがに過去の苦い経験から自殺を考えることは決して無く、乳がんを患った妻を守るために、仕事を続けなくてはならないことも分かっていた。新卒でさえ就職が非常に困難な中、このような病気を抱えた人間を雇ってくれる企業など無いことも分かっていた。退職金の額を尋ねたのも、退職以外に選択肢が無いと考えて尋ねたわけでは無い。むしろ、逆である。告げられる金額は、今後の生活を守るためには少なすぎるはずだ、そう確信しながら、敢えて自分で自分を納得させるために尋ねた。そのことを、自分でも分かっていた。退職金を計算して下さった方、退職を考えていることを打ち明けたがために心配をかけてしまった方々には非常に申し訳ないが、私なりに自分で自分にブレーキをかけることができたのでは無いか。退職の意思を人に告げたのも、ブレーキをかけて欲しくて、そうしたのかも知れない。

 躁状態の時も同じだ。睡眠時間が短くなっていることに自分で気が付く。私のことをよく知っている方々に尋ねると、やはり声が大きくなり、早口になっているという答えが返ってくる。妙に陽気だったり短気だったり、集中力が無くなっていることも見抜かれている。そして、自分でも、ある程度それを自覚している。自覚しているからこそ、他人から指摘されるよりも前に、客観的な判定を求めているのだろう(私の思い違いで無ければ)。自分を落ち着かせるために、声のトーンを落として、ゆっくり話すように意識している。これを知人は「戦場カメラマン(渡部陽一さん)になればいいんだよ」と言った。確かに、「戦場カメラマンだよ!」と言った方が、手っ取り早くて分かりやすい。ナイスアイディア。
 かつて、ごく軽い躁状態だったにも関わらず、非常に危険な車の運転をし、自分でも恐ろしくなったことがあった。一歩間違えば、人の命を失いかねない運転だった。その時以降、車を運転する時は、本当に運転しても大丈夫なのか、妻と二人で確認するようにした。2011年7月25日の日記に記した、「躁なら乗るな」のチェックシートを作って。今でも必ずチェックを怠らずにいる。

 なんだ、客観的な自己分析とそのコントロールが、決して万全とは言えないが、ある程度できているではないか。これができるのなら、その時の自分を観察しながら、その時の状態に合わせた行動が取れるはずだ。その時の状態に見合う仕事を、生活をすることが。そう考えれば、「仕事ができるようになるためには、病期を一刻も早く治さなくては」と焦ることも減り、また、「病期だから仕事が出来ない」と言い訳をすることも無くなっていくかもしれない。

 力まず、焦らず、あるがままを受け入れながら生きる。決して病気への敗北宣言では無い。

 自然体で行こう。「自然(じねん)体」で。その方が、病気を言い訳にすることも減るかも知れない。その方が、今より過ごしやすくなるに違いない。仕事もはかどるかも知れない。

 「あ、そうか!」今更になってようやく気が付いた。「戦場カメラマン!」発案者の知人、その方も何かと辛いことの多い、一生付き合わなくてはならない病気を抱えている「病気仲間」だ。その方が、「病気と上手に付き合いながら、ずっと暮らしていく。だから、ライフワークみたいなものだよ」と。

 ライフワーク。考え方としては、分かったつもりになっていた。しかし、きちんと咀嚼できてはいなかった。ライフワーク。今日、ここに書いたような考え方では無いだろうか。そんな気がしてきた。